ご挨拶 沿革

病院名 純徳会田中病院 純徳会田中病院
院長 金澤 優純
所在地 〒6600084
兵庫県尼崎市武庫川町2丁目2番地
アクセス
TEL:06-6416-6931
FAX:06-6416-0026
設立 1979年
従業員数 130名

ご挨拶(沿革と共に)

阪神電車武庫川駅の東約500m、線路の南側で尼宝線の東側に接し、車窓からも間近に見える場所に田中病院は位置しております。 創立は昭和19年、第二次世界大戦の最中に内科医の父である田中豊一と、その弟で外科医の安藤研士(後の安藤病院初代院長)の二人によって木造二階建ての23床の病院を開設したのが始まりです。当時尼崎の海岸沿いの工場地帯が米軍のB29爆撃機の空襲を受け、多数の死傷者が病院に運び込まれたのを中学1年生であった私は今も記憶しております。病院の近くにも焼夷弾が落ちましたが幸い焼け残り、軍医として召集されていた父と叔父が復員してから本格的な医療活動が始まったように思います。

その当時勤務しておられた整形外科の中野謙吾先生や当直医の松本圭史先生は後にそれぞれ、兵庫医科大整形外科の初代教授、大阪大学病理学の教授となられました。

その後病院は地域ニーズに応じて増築を重ね、診療科も順次増加した結果昭和25年には歯科や眼科、産婦人科などを含む全診療科を標榜する病院となりました。そして昭和42年に父より病院を手伝うよう要請があり、当院に勤務し始めてから6年後の昭和48年に父がなくなり、田中病院二代目院長を任ぜられました。

その後、木造であった病院を鉄筋コンクリート6階建に建て替え、現在は内科、整形外科を柱に外科、皮膚科、リハビリテーション科を加えた5科で診療を行っております。また昭和53年に医療法人に改組させていただいてからは新基準の取得などにより196床まで拡張いたしましたが、地域ニーズや医療行政の変遷を受けて病床数も変化し、現在は一般病床3病棟135床で運営しております。

当院は武庫川をはさんで兵庫医科大学病院と非常に近い位置にあり、また当院の初代院長と兵庫医科大学の森村学長が懇意にさせていただいておりましたことから、古くより医師の交流や患者様の紹介、連携が盛んで密接な関係となっております。また当院が15:1入院基本料で在院日数が比較的穏やかなことを生かし、北側に位置する関西労災病院をはじめとした上位基準の医療機関や地域の診療所、医院からの紹介患者様を幅広く受け入れることを基本方針としております。医師の協力や地域医療連携室の活躍もあって病床稼働率はおおむね80〜85%を維持、ピーク時には9割を超えることもあります。在院日数は平均40〜50日程度で、退院後については在宅復帰する方も多いのですが、長期化が予想される方には医師と地域医療連携室、リハビリ科などが協働して療養先の確保に努めております。

内科では診療精度の向上を目指して、16列マルチスライス型CTを導入いたしました。また以前より内視鏡検査には特に力を入れておりましたが、カメラ検査独特の肉体的、精神的負担を緩和するべく経鼻型の胃カメラを導入し、多くの患者様に喜ばれております。外来では一般診療のほかに、兵庫医科大学病院より専門医師をお迎えして頭痛の専門外来を設けております。病棟では地域の受け皿的病院として、主に急性期後の患者様を幅広く受け入れております。

整形外科は当院が日本整形外科学会認定研修施設ならびに日本手の外科学会の認定研修施設であることから、兵庫医大整形外科医局からの医師を多くお迎えして、筋、骨格系の手術を実施しております。兵庫医大からの紹介患者様や交通事故、労災及び救急の患者様、在宅や介護施設における病院としてのご紹介も多く、股関節、膝関節の人工関節や股関節人工骨頭置換術、骨接合術、四肢切断、手の外科手術などを週4〜5件のペースで実施しています。

今後は2次救急病院としてさらに受け入れ態勢を整えるとともに、地域周辺の医療機関との連携強化や施設、機器の充実を通じて、これまで以上に地域医療に貢献してまいる所存でございます。

名誉院長 金澤豊純

純徳会田中病院ページトップへ